
本日のキットは、タミヤ1/700航空母艦 大鳳です。
日本の空母としては、初めて飛行甲板に装甲を張るなど技術的にも最も発達を遂げた艦でした。

船体は翔鶴型航空母艦を拡大したものですが、重心の関係で高さは飛龍型に近いものになっています。
飛行甲板 257.5m 幅 30m 海面~飛行甲板高 12.4m 基準排水量 29.300トン 公試状態 34..200トン

艦橋、煙突、高角砲等のパーツです。
艦橋と煙突を一体化したアイランドを右側に配し、傾斜煙突を採用しています。

零戦4機、彗星4機、99艦爆4機、天山4機が付属しています。
エレベーターが前後2基設置されています。

組説は縦型の1枚物です。
大鳳は高角砲や対空機銃が多いです。
大鳳は、空母の弱点である飛行甲板を装甲で覆い、高度700mからの500㎏爆弾に耐える仕様でした。
本来800㎏爆弾に耐える様に要求されましたが、重量や予算の関係で妥協されたものです。
1944年6月19日、初陣のマリアナ沖海戦で潜水艦の雷撃により航空機燃料が漏洩、引火して大爆破を起こし沈没します。
竣工してわずか3ヶ月、たった1本の魚雷により沈没した原因はいろいろな不運が重なっています。
大鳳は雷撃を受けた後も戦闘行動を行っています。
前部エレベーターが零戦を乗せたまま前側に傾いたまま停止、修理は不可だが復旧作業に当たります。
丸太を敷き詰め、その上に食堂のテーブルなどを乗せ、着艦が出来るまでに復旧させます。
これは、戦闘中の艦載機を収容するためで、被雷直後よりガソリンの吹き出しが始まっていました。
浸水により格納庫まで押し上げられていて、気化ガスが充満していたと思われます。
「気化ガス充満、たばこ禁止、防毒マスク着用、火花が出る作業禁止」との伝令が出されています。
火花を恐れて工具の使用が遅れた、エレベーターにより開口部を塞いだため換気が出来ない等の状態でした。
この様な状況下で、小沢艦隊第2次攻撃隊の収容作業を行うのです。
被雷から4時間後、気化したガソリンに引火し大鳳は大爆発を起こしました。
最初の着艦機が胴体着陸した直後に発生したと言います。
タンクからのガソリン漏れは被雷の衝撃で継ぎ目が外れたため生じましたが、継ぎ目の溶接に不備があったと言われています。
大鳳には電気溶接も部分的に取り入れられていましたが、当時の電気溶接は強度に問題がありました。
タンクは装甲板で防御され大鳳は鉄筋を組んだ上にコンクリートを充填されていました。
日本の工業力の限界で品質低下、優秀な技能工が召集され、未熟な徴用工の手で建造されていました。
戦闘行動を中止し、前後エレベーターを換気のために開放するべきでした。
装甲のためエレベーター重量が100トンあり、故障すると艦内作業では不可能でした。
装甲に覆われていたため爆風が上に逃げず下部方向にまで達したこと。
艦内の工作員がエレベーター開口部を塞ぐ作業に優先されたためタンク修理が後回しにされたこと。
竣工して3ケ月で新機軸を盛り込んだ艦であったので乗員が不慣れであったこと。
母艦を護衛する駆逐艦が少なく、対潜警戒に難があったこと。
日本海軍はダメージコントロールが下手だったと言われてます。
大鳳の件はその重大性を認識させられる一件だと思われます。
また運用も良くありませんね、防御陣形が確立していません。
また、空母は開放型がダメージ回復が早い様です。
潜水艦による雷撃で失った艦が多いですね。
彗星1機が雷跡を発見し、自爆突入して魚雷を阻止しようと海に突入しました。(操縦 小松幸男兵曹長、偵察 国次萬吉上飛曹)
大鳳とともに忘れずに語り継がれるものと思います。
日本海軍は数多くの航空母艦を保有していて、本格的運用したのはアメリカ軍と日本だけと言われています。
艦船と言えば戦艦が有名ですが、航空母艦も花形艦が多く存在します。
私はウォータラインは空母しか在庫していません。
好きな航空母艦を順次紹介したいと思っています。
航空母艦に少しでも興味を持っていただけたら幸いです。