トルコ国籍のクルド人が多く住む埼玉県川口市で、クルドの子どもたちへのいじめが深刻化しています。
埼玉県川口市にある芝中央小学校へ通っていた少女は、学校ぐるみで“イジメ事件”隠しを受けました。
少女が6年生に上がった去年の4月、新しく鈴木彰典校長が就任しました。ここからが不幸の幕開けとなります。
以前の校長は、子供好きで誰にでも平等に接する人物であると当時の関係者は語っています。
人権意識の高い校長は、少女のことも常にイジメから守ってくれました。
しかし4月に新しい校長が就任してから事態は一変しました。5月、数人の女子にクルド人少女がトイレに閉じ込められるという事件が起きました。のちに筆者の質問に、担任は「1人しかやってない」と発言しましたが、事実究明をしていくうちに1人がドアを蹴飛ばし、3人が上からのぞく、残りは少女を罵倒したり、はやし立てたりしたという事実がわかりました。筆者が証言の違いを追求すると、担任は口を閉ざしてしまうだけでした。
少女の不幸はまだ終わりませんでした。辛い事はあってもなんとか小学校に通いつづけました。しかし、今年1月、徹底的に少女を追い詰める事件が起きました。
体育の授業で男女混合のサッカーが行われました。少女は、A君が自分のことを「あいつは邪魔」と言うのを聞きました。次の瞬間、少女はA君に突き飛ばされ、転んでしまいました。その際、足を怪我して、痛みに少女は泣き続けました。
それに対しB君が、少女にサッカーを続行する様に指示しました。少女は泣きながら「できない」と意思表示をしましたが、聞き入れてもらえず無理やりサッカーをやらさました。当然、戦力にはなりませんでした。
次の授業のために少女は教室に戻ったが、自分の机といすが誰かによって倒されていました。自分で直してから椅子に座り、痛みと悲しさのあまりに机に顔をうずめ泣き続けました。
すると突然、何者かにいすを後ろに引っ張られ、少女は床に倒れ込んでしまいました。B君はサッカーの試合が散々だったのを逆恨みして、少女の背中を何度も蹴りまくりました。泣いて嫌がる少女に対し、クラスメートが傍観しているなか、蹴りは容赦なく襲い続けました。中にはB君に、「お前の足が腐るからやめろよ」と言う生徒さえいました。
次の日、少女は病院で治療を受けました。その後に少女の母、従兄弟の妻(日本人)、少女の3人で学校に向かいました。家族の苦情に対し岡和香子教頭は「(少女は)心が弱いから・・・」と、少女にもまるで非があるような発言をしたそうです。
筆者の質問に対し、教頭は「弱いなんて言っていない」と否定。何度も追及していくと「そもそも(少女の)母親には一切、会っていない」と答えました。しかし、間違いなく会っているという家族の証言により、再び「なぜ母親と会っていないと嘘を言ったのか」と質問しました。教頭は、今度は「母親と会っていないなんて言っていない」と答えました。何故、証言がこうもコロコロ変わるのだろうか、学校の闇を感じます。
A君の件に限っては、少女は養護教員に事情を訴えたが、それが職員たちに共有する事なく終わり、「ただぶつかっただけ」という判断で終わっていました。
暴力事件のショック、そして学校側の不信感から、少女は登校拒否になってしまいました。
支援者たちは、学校に何度も卒業式までに解決と部外者の介入の停止を求めたが、学校の教員たちは誰一人として少女の気持ちを考えて行動するものはいませんせした。たまに担任が卒業式の説明に来たが、まるで少女のせいで問題が解決しないとでも言うような態度に、更に傷つけられました。
そんな少女も、どうしても卒業式に参加したかったのです。この決心に、どれだけの勇気が必要だったでしょうか。
いよいよ卒業式。少女は母親と、支援者とともに学校へ向かいました。
他の生徒と違い、少女1人だけ図工室に通され、式開始まで待たされました。図工室には少女が学校に残していた勉強道具一式がまとめられて置いてありました。こんな、やり方しか思いつかなかったのでしょうか。
いよいよ式が始まるので日本語教師が少女を迎えにきました。不安がる少女に「私がついているから大丈夫」と何度も繰り返しました。それに対し筆者ら支援者は「どうか彼女をお願いします」と何度も頭を下げました。
ただひたすら「何ごともありませんように」という願いもむなしく、再び事件は起きてしまいました。生徒たちが体育館へ向かう途中、1人の男児が少女の容姿と服装を大声でバカにしたのです。図工室に戻った少女は母親の腕にしがみつき、泣き続けました。
支援者は日本語教師に事情を求めるると」「男児は何か言っていたがぼそぼそ言っていたので何を言っていたのかわからない」と答えました。校長を呼び、ただちに男児に謝ってもらう様に求めました。しかし、「全員の写真撮影が先だ。順番が崩れる」と、少女の件を後回しにしました。「なぜ、被害者だわに立ってくれないのか」という支援者に対し「私は中立です」と校長はきっぱり答えました。その後、校長が少女と母親に「男児とその母親が校長室へ待っているので、そこで話し合ってください」と言ってきました。
校長室で両者が顔を合わせても当然「言った」「言わない」という争いとなります。それを校長は仲裁に入るわけでもなく、少女に「(男児は)君のことを言ったのではないんだよ」と男児の味方をしました。
男児はなぜか話合いの場で泣いていて、少女に「お前のせいだ、殺すぞ」と言ったり、机を蹴ったりする場面もありました。それでも校長は男児を叱ることもなく、「もう卒業式なんだからさ、どうしたいの?」と、少女に何度も詰め寄りました。
相手の母親は「そっちのせいで卒業式を台無しにされた」と怒りをぶつけてきました。この場の雰囲気に耐えられなくなった少女は「卒業式だから・・終わりだから、もういいです」と言わざるを得なくなり、泣きながら学校を飛び出しなしました。
そこへ声をかける先生は一人もいませんでした。
後日、川口市教育委員会に支援者が電話したところ、校長から卒業式の件は「少女の勘違い」という報告があったというのです。
少女は校長たちの圧力で「もういいです」と言わされたが、男児の言い分についてはまったく認めていません。なぜそこまで少女に対して酷いことができるのか。少女が外国人だからなのでしょうか。
しかし、支援者が卒業式の日に「お守り」と称してポケットに小型カメラを入れていました。その動画を後日、証拠として校長につきつけました。日本語教師は以前「ぼそぼそ言っていて聞こえなかった」と言っていましたが、その動画を確認すると、男児は誰にでも聞こえるような大声で少女の悪口を言っていました。
あるクラスメートからも「先生のそばで、大きな声で言っていった」という証言を得ることもできました。日本語教師もまた、少女を裏切った事になります。
ここまで記事を読んで、いったいどれだけの大人たちがウソをついたのか、おわかりいただけるでしょうか。本来、学校とは子供に「ウソはいけない」と教える存在ではないのでしょうか。どれだけ多くの教師をはじめ大人たちが、少女をよって」たかって傷つけたのか。
少女の件は、まだ何ひとつとして解決していない。被害者の声を黙殺するこの学校のやり方を見過ごしては、地獄を味わう子供は後を絶たなくなる。 〈文/織田朝日〉 ハーバービジネス・オンラインより
私は、この記事を読んで怒りを覚えました。それと同時に、この少女が我が子だったらと思うと、胸が締め付けられる思いでした。
この少女が自殺しなかったのがせめてもの救いで、イジメによる自殺はこうして起きるのだと改めて認識させられました。
支援者らは、市などに対し、女子児童の問題を「いじめ防止対策推進法」に基づく重大事項と認定するとともに、学校側の対応について調査する様に求めています。これに対し学校側は、いじめの発覚直後に校内に対策委員会を設置し、調査したと主張。
学校側は「双方の和解に向けて今後も努力したい。いじめをなくすため、国際理解の推進や地域との連帯を深めたい」と話してしています。
「少女に対しての心からの謝罪と教員の処分」が必要なのではないのでしょうか。
人として不適切な人間が教育者という立場である事は、絶対にあってはならないのです。
さて本日は、岐阜基地航空祭 その3 です。











